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zoom RSS 大王ワカタケルと佐々貴山公

<<   作成日時 : 2005/07/12 02:15   >>

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佐々貴山公は近江国蒲生郡篠笥(ササキ)郷を本拠とする古代豪族であり、記紀で八代人皇と伝わる孝元天皇(オオヤマトネコ・クニクル)の皇子大彦命の子孫という伝承をもつ。大彦命(オオヒコ)は『記紀』で四道将軍の一人として北陸道を進んだと伝えられている人物で、埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣銘の系譜の上祖に「オオヒコ」と記されていたため、実在の人物ではないかという議論が盛り上がり話題となった。すくなくとも古墳時代の豪族たちからは共通の先祖と見なされ、その実在が信じられていたことが分かる。
 オオヒコの子孫という伝承をもつ古代豪族は大和・伊賀・近江・北陸道・北九州などに広域に分布し、大和政権で勢力をもった古代豪族の名門阿倍臣や膳臣(のち高橋朝臣)をはじめ、地方豪族の阿拝臣・阿閉臣・伊賀臣(以上伊賀国)・佐々貴山君(近江国)・越君・道君(以上北陸)・筑紫国造(北九州)などの地方有力豪族がある。佐々貴山公の本拠近江蒲生郡の繖山(ササキ山)の麓には、オオヒコの古墳と伝わる前方後円墳・安土瓢箪山古墳がある。
 稲荷山古墳出土鉄剣銘は、上祖オオヒコ・児タカリスクネ・児テヨカリワケ・児タカヒシワケ・児タサキワケ(ササキワケ)・児ハテイ・児カサヒヨ・児ヲワケと八名の名前を知るし、「世々杖刀人首として仕えて来た」として、ヲワケが雄略天皇の臣下として「奉事」の由来(根源)を記したものである。これは親子関係を示した系譜ではなく、地位継承者名を列記したもの系譜と思われるが、このうちタサキワケまでの名が地名+尊称「スクネ」「ワケ」と推測できることから、オオヒコの子孫と名乗る擬制的同族系譜をもつ広い地域での盟主と思われる。それに対して尊称のないハテイ・カサヒヨは個人名の可能性が高く、系譜作成者ヲワケが属する小地域における首長地位の継承者系譜を、タサキワケまでの広域盟主の地位継承者系譜につなげたものと理解することができる(義江明子『日本古代系譜様式論』吉川弘文館、2000年)。このうちタカヒシワケはオオヒコの子孫を名乗る阿倍氏族高橋氏(膳臣)、タサキワケは同じく阿倍氏族佐々貴氏(ササキ山君)の上祖に当たる人物であろう(溝口睦子『日本古代氏族系譜の成立』(学習院、1982)第四章五節「氏族系譜からみた稲荷山鉄剣銘文」。義江明子『日本古代系譜様式論』吉川弘文館、2000年)。このタサキワケは雄略の即位を助けたササキ山君カラフクロ本人か、その祖に当たる人物と思われる。
 実際にササキ山君が記紀に登場するのは、河内(大阪府)を中心に古墳文化の最盛期を築いた倭の五王のひとり倭王武、つまりワカタケル大王(雄略)の即位を支援したことによる。その記紀の内容は、稲荷山古墳出土鉄剣銘にタサキワケの名があることでも裏付けられる。ササキ山君は大王の親衛隊長である杖刀人首を勤めるほど大和政権での地位は高く、膳臣(高橋氏)や埼玉県稲荷山古墳の被葬者ヲワケをはじめ、東国を含めた広い地域の首長たちの盟主になることができるほど勢力が強大であったことが分かる。雀部(ササキベ)が東国を中心に分布し、現在も佐々木姓が東北地方を中心に分布していることもこのことと関連があろう。東北地方における佐々木姓の多さは、鎌倉御家人佐々木氏の東北進出だけでは説明できない。
 また本拠ササキ山は河内から淀川を上ぼり、さらに宇治川を上ぼった琵琶湖畔にある。平安初期に桓武天皇の皇子万多親王らによって編集された『新撰姓氏録』によれば、佐々貴山公は近江と摂津に本拠をもっていた。このことから、佐々貴山公が淀川水系を中心に活躍していた海の民系の有力者だったことが分かる。そのような佐々貴山公の祖先が、倭の五王の一人として中国と交流したワカタケル大王(雄略)の河内政権を支えたのである。

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