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zoom RSS 中務少輔勝秀

<<   作成日時 : 2005/06/08 16:18   >>

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京極勝秀(1433-1468)持清の長男。三郎。中務少輔、従五位下。寛正3年(1462)、翌寛正4年(1463)幕府の命で、妹婿畠山政長らとともに河内畠山義就征討の討手として活躍した。寛正5年(1464)、翌寛正6年(1465)足利義政の勝秀邸への御成があった。京極氏家督として、足利義政から期待されていたことが分かる。応仁・文明の乱では東幕府に属した。応仁元年(1467)近江に下国して西軍の六角高頼と激戦を繰り広げたが、一進一退の状況が続き、翌応仁2年(1468)6月17日近江甲賀郡で六角氏との対戦中に陣没した。
 父持清は、勝秀の嫡子・孫童子丸を京極氏家督と定めた。さらに持清も文明2年(1470)に没すると勝秀の三弟政経(六郎)が孫童子丸の後見になった。ところが翌文明3年(1471)には孫童子丸も没した。そこで幕府は、孫童子丸の後見として京極氏家督を預かっていた政経を、そのまま京極氏家督にした。ここに勝秀の弟政光・政経・高清による京極氏家督をめぐる内紛が始まった。

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