良経、世後子ト為ル也
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作成日時 : 2005/06/29 02:14
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『春記』長暦2年(1038)12月14日条に「良経為世後子也」という記事がある。これは、良経が皇后禎子内親王の御給で正四位下に叙されることが決まったときの記事である。これまで、この記事の意味が分からずにいた。しかし「世尊寺(藤原行成)の後子と為る也」と読むことができることに気づいた。このことで、今まで疑問に思っていたことが一気に解決した。
左馬頭良経は宇多源氏参議経頼の近親者で、後一条天皇近臣であり(『左経記』長元5年(1032)2月19日条)、また弟源成経が東宮(のち後朱雀天皇)殿上人になる(『左経記』寛仁元年8月10日条)など乳母子であることが、系図上の宇多源氏義経が乳母子と伝わることと一致する。さらに晩年に前九年合戦に関わり、兵部大輔に補任されたこと(『扶桑略記』『百錬抄』)も宇多源氏義経の事跡に一致する。その一方で『平行親記』長暦元年(1037)2月13日条では、皇后宮亮を兼ねていた左馬頭良経が「□原良経」と記され、彼が藤原氏であったことが分かる。良経が藤原氏であれば、藤原行成の子息尾張権守良経と同一人物の可能性が大きい。
良経の事跡は宇多源氏義経に一致するが、実際の氏姓は藤原氏である。この疑問を解いてくれたのが、『春記』長暦2年12月14日条の「良経為世後子」という記事であった。これで良経が藤原行成(世尊寺)の養子になっていたことが分かったからである。実父源成頼の没後に親戚であった藤原行成の実子(第二子)として育てられていたのである。弟成経はそのまま源氏を名乗っていたのだろう。
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