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zoom RSS 後一条天皇近臣左馬頭良経

<<   作成日時 : 2005/06/21 13:47   >>

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長元5年(1032)2月19日『左経記』の記主参議源経頼が参内したところ、仰せがあり、前日18日左馬頭良経朝臣の従者が、右大将藤原実資の随身を打ったため、今日19日下手人を奉るよう宣旨があり、検非違使が良経邸に派遣されたという。さらに一日上達部が言うには、看監長・放免らが邸内に入り乱行したという。このことについて何か聞いているか尋ねられた源経頼は、検非違使が到来したことは伝え聞いているものの、看監長の乱行は聞いていないと答えた。そのため、確かめるよう仰せがあった。五位以上の家は宣旨で指示がなければ入ることはできず、しかも良経は上達部であり、龍顔(後一条天皇)に親しく、検非違使の所行はたいへん非常なものであるとも仰せであった。経頼は退出して、良経に問うたところ事実と分かった。そこで経頼はその旨を、夜に参内して言上している。
 3月2日の夜、左衛門尉源清が経頼邸を訪れて、良経邸に向かい乱行した検非違使兼左衛門尉(姓欠)義光・(源)清・府生(坂上)時通召喚の宣旨が下されたことを伝えた。このとき源清は、自分が加わったのは不本意であったこと、良経邸に使わされたのは検非違使別当源朝任の指示であったことを述べている。
 この記事で、左馬頭良経が源経頼の親族であることが確認できるとともに、殿上人であったこと、さらに後一条天皇近臣であったことも分かる。また良経が後一条天皇乳母子の可能性が高い。

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