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zoom RSS 宇多源氏義経の実名

<<   作成日時 : 2005/06/20 12:06   >>

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宇多源氏四位中将源成頼の子義経の実名がわかった。『左経記』長元5年(1032)2月19日条および同9年(1036)4月26日条に「左馬頭良経朝臣」)の記述があり、『扶桑略記』の「良経」が正しいことが分かった。陸奥守以前の官職が左馬頭であることも分かった。軍事貴族に相応しい官歴である。
 義経(良経)は、前九年合戦で源頼義が陸奥守を更迭されて再任されるまでのあいだ陸奥守に在職し(『扶桑略記』『百錬抄』)、天喜4年(1056)12月29日兵部大輔に遷任されている(『百錬抄』)。これで源頼義は陸奥守に再任されたが、翌年天喜5年(1057)11月頼義は再び安倍貞任に敗れた。すると、こんどは義経の弟斉頼が蔵人兼検非違使から叙爵され、同年12月25日(『扶桑略記』)、あるいは翌年天喜6年(1158)4月25日(『百錬抄』)出羽守に補任されて現地に下向した。『水左記』康平7年(1064)3月28日条にあるように、斉頼(前出羽守源正頼)は安倍頼時の弟僧良照(安倍則任)を捕縛している。このことは同年3月29日付太政官符(『朝野群載』巻十一)でも確認できる。
 義経の表記を、『百錬抄』で良綱、『扶桑略記』では良経としているが、前述のように『左経記』長元9年(1036)4月26日条で「左馬頭良経朝臣」とあり、『扶桑略記』にあるように「良経」が正しい。
 このように義経の実名が「良経」と分かったことで、沙々貴神社本では父成頼が後一条天皇(諱敦成)から諱字を給付されたという系譜伝承が、義経(良経)が後朱雀天皇(諱敦良)から諱字を給付されたという史実を誤り伝えたものと推定できる。義経の母は後朱雀天皇御乳母であり、諱字を給付された可能性は大きい。やはり系譜伝承の錯誤には、史実が含まれていることが分かる。
 沙々貴神社本には、ほかにも誤りという形で史実を伝えているものがある。同系図は、義経の弟斉頼の官職を大膳大夫としているが、これは末弟成経の官職を混入したものである。寛仁元年(1017)8月10日敦良親王(のち後朱雀天皇)の東宮坊除目で、当時六位大膳進であった成経が東宮殿上人に列している(『左経記』寛仁元年8月10日条)。このことから、末弟成経の官歴のひとつが斉頼の事跡に混入したと分かる。また沙々貴神社本で成経の官職を左馬頭とするが、これも義経(良経)の官職を混入させたものである(『左経記』長元9年4月26日条)。これらのことで、系図伝承では錯誤という形で歴史的事実を伝えられていることがあると再確認できた。

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