佐々木哲学校

アクセスカウンタ

zoom RSS 治部少輔持高

<<   作成日時 : 2005/06/11 01:01   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

京極持高(1411-1439)高光の長男。幼名吉童子。本名持光。三郎、治部少輔。飛騨・出雲・隠岐守護。近江北郡分郡守護(軍事指揮権)。侍所頭人、山城守護。御相伴衆。応永28年(1421)から応永30年(1423)頃まで叔父高数が侍所頭人を預かり、応永31年(1424)から正長元年(1428)まで持高が侍所頭人であった。
 永享5年(1433)足利義教呪詛事件を契機に起きた山門騒動では、六角満綱とともに山門領押使として、近江国内の延暦寺領を没収している。このとき、近江南7郡(神崎・蒲生・甲賀・野洲・栗太・志賀・高島)は六角満綱が奉行し、近江北5郡(愛智・犬上・坂田・浅井・伊香)は持高が奉行した。このことで、山門騒動で六角氏と同格の軍事力として配置されていたことが分かる。近江守護ではないものの、近江北郡の軍事指揮権は有していたようだ。
 永享11年(1439)正月持高が没するが、このとき持高の弟持清(中務少輔)は家督にならず、後見であった叔父高数が京極氏家督になっている。将軍足利義教は有力守護大名の家督相続に介入したが、この京極氏家督への介入もその一環である。持清が相続できたのは嘉吉の乱後である。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文

恋愛哲学

治部少輔持高 佐々木哲学校/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる