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zoom RSS 大膳大夫晴広

<<   作成日時 : 2005/06/01 11:07   >>

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京極晴広(生没年未詳)高広の子。大膳大夫。近江・出雲・隠岐守護。天正元年(1573)に京都を追われた足利義昭に従っていたのだろう。天正9年(1581)朝鮮王から勘合の銅印を給付され、天正12年(1584)謝礼のため京極使が足利義昭の書を持して朝鮮に渡り、朝鮮国王李昭に奉じて、答書を得た(『続善隣国宝記』『古文書纂』)。このとき答書の宛所は「日本国京城住京極江岐雲三州太守佐佐木氏大膳大夫源公足下」となっている。近江・隠岐・出雲守護を称していたことが分かる。
 京極晴広の存在は、現在の諸系図では伝えられていない。それは、現在に伝わる京極系図が、近世大名になった京極高慶(高吉)の子孫が伝えたものだからである。このように『寛政重修諸家譜』では、江戸期に存続した家をそれぞれの氏族の嫡流のように記しており、そのことがそのまま同系譜の限界にもなっている。近世の系図は、注意して利用する必要があるだろう。ただし「晴広」という名乗りから、六郎高広の子息と推定できる。 長松軒(沙々貴神社所蔵佐々木系図・京極家譜)と同一人物だろう。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
来年の大河ドラマは「真田幸村」なのだそうですが
大坂の陣での西軍の武将である「京極備中守」は、
京極晴広本人か兄弟でしょうか?。高次高智の従兄弟との書物での記述が多いですが具体的な系図を知りたいです。
御教え願えませんでしょうか。
舞鶴市役所職員
2015/09/20 17:21
京極晴広は大膳大夫であり、おそらく京極備中守(備前守)は別人でしょう。系譜は不明ですから、逆にそこから晴広と同様に京極高広の子孫と考えられます。

京極高知の従兄弟といい、関ヶ原の戦いで浪人して、慶長十九年に大阪に入城し、夏の陣で徳川方と交渉中に秀頼居所が猛火に包まれたために逐電した人物(山口休庵咄・土屋知貞私記)ですが、逸話でしか登場しない人物で系譜は不明です。

またその一族と考えられる京極伯耆守もいます。「京極家家臣某覚書抜粋」に登場します。六角兵部の縁戚ですが、京極高豊は幕府からの質問に分からないと答えているので、高広の子孫でしょう。やはり系譜は不明です。



佐々木哲
2015/10/16 14:51
御返信ありがとうございました。
不明なものは不明とされる先生の回答に
ますます信頼を感じました。

京極高広の方が大原氏であった高慶よりも京極氏の正統な流れのように私も思うようになりました。晴広が足利将軍家や朝鮮国王からも認められていたということは、高次高智らのほうが庶流で支族ということになります。
晴広の子孫の方がいらっしゃったら、そのおうちが「京極宗家」ですね。


舞鶴市役所職員
2015/10/17 10:56

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