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zoom RSS 大膳大夫満綱

<<   作成日時 : 2005/05/02 11:49   >>

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六角満綱(一四〇一−一四四五)満高の長男。母は足利基氏の娘(沙々貴神社所蔵佐々木系図・六角佐々木氏系図略)。四郎右兵衛尉、大膳大夫、従四位下、近江守護。正妻は足利義満娘(『系図纂要』足利系図)。法号は龍雲寺殿貞山宗岱。
 応永十八年(一四一一)将軍足利義持による飛騨国司姉小路尹綱追討の命を拒否したため、満高・満綱父子は近江守護を解任されたが、まもなく父満高は近江守護に復職した。応永二十二年(一四一五)伊勢北畠満雅追討では満綱が出陣している(『勢州軍記』『満済准后日記』応永二十二年四月十日条)。
 実は満綱は、早い時期から嫡子持綱に近江守護の政務を執らせていた。『花営三代記』応永二十八年(一四二一)二月十八日条と、翌二十九年(一四二二)九月十八日条によれば、将軍義持の伊勢神宮御参宮で、嫡子持綱が草津での御昼休を沙汰している。また同記の応永三十一年(一四二四)十二月二十七日条の貢馬の記事で、貢馬注文の写しに「六、佐々木左京大夫入道跡、今は六角四郎兵衛持綱進上」とある。そのため、応永二十八年(一四二一)以降の近江守護佐々木四郎兵衛尉は嫡子持綱と見られる。
 応永三十五年(一四二八)将軍義持が没して弟義教がくじ引きで後継者に決まり、正長に改元されたが、その年に近江の馬借から正長の土一揆が起こっている。これを契機に義教の「恐怖政治」が始まった。しかし義教の妹婿であった満綱は、義教に重用されて相伴衆に列している(永享以来御番帳)。永享五年(一四三三)山門騒動が始まると、満綱は京極持高とともに「山門領押使」となり(『師郷記』永享六年八月十九日条、『満済准后日記』永享六年八月二十三日条)、近江国内の山門領を没収した(『満済准后日記』永享六年八月二十九日条)。このとき一部の村々では、佐々木六角氏の徴発に応じて野伏(傭兵)を提供している(『満済准后日記』永享六年十月一日条)。 守護が本格的に村の軍事力を動員したということである。正長の土一揆で民衆が見せた力を、六角氏は有効な軍事力にしたといえる。
 永享十一年(一四三九)大和越智維通追討に参陣した。このとき参陣したのは治部少輔(斯波氏)、佐々木六角、京極、河野、畠山、一色、世安(土岐)、武田内者長塩である(『東寺執行日記』永享十二年六月三日条)。そのため永享12年正月3日の椀飯は、子息持綱が参洛して勤めた。
 嘉吉の乱(一四四一)六月将軍義教が赤松満祐に殺害されると、その直後の八月に嘉吉の土一揆が近江から起こった。これは、幕府による赤松満祐・教康父子追討と同時進行であり、幕府の混乱に乗じたものともいえる。満綱はいちはやく八月には近江国内で徳政令を発布している。九月になると一揆は京都にも広がった。このとき、一揆は六角氏の扇動と目された(『建内記』嘉吉元年九月三日条)。当時京都と近江の金融界を牛耳っていたのは山徒系の土倉や酒屋であった。彼らが破綻すれば、山門も経済的打撃を受ける。山門領の中には、山門系金融業者からの借銭が原因で手放された土地も多く含まれていたと考えられ、ひとたび徳政一揆が起これば、真っ先に山門領が襲撃される。六角氏の利害関係を考えれが、六角氏が扇動したと目されるのは当然だ。そのため九月十二日山門衆徒は六角氏を訴え、祇園社の神輿を担ぎ京都六角宿所に押しかけることを議定、その夜満綱は近江に没落した。満綱が山門領を押領し、また今回の土一揆を扇動したからである。たえきれず十二日幕府も徳政令を発布した。このとき担当した侍所頭人は京極持清(中務少輔)であった(『建内記』嘉吉元年九月十三日条)。十三日には山門衆徒・祇園社犬神人・田楽らによって、六角氏の宿所とその近辺が放火され、そののち馬借が所々に打ち入っている(『師郷記』嘉吉元年九月十三日条)。
 嘉吉の土一揆で満綱は近江に没落したが、これを契機に六角氏で内紛が起こった。六角氏被官が近江守護持綱の非道を幕府に訴えたのである。そして文安二年(一四四五)正月満綱の次男時綱を擁立した六角氏被官によって、満綱父子は自殺に追い込まれた(『師郷記』文安二年正月十三日条)。これを文安の乱というが、幕府は傍観の立場をとり続けた。「恐怖政治」義教政権下で山門領を押領して勢力をつけた六角氏の弱体化を、幕府が目論んだのである。
 ところで満綱という実名は、父満高の初名と同じであるため、『続群書類従』所収の佐々木系図に見られるように、満綱の子久頼を満高の子息とするような混乱も生じている。しかしこのことから、系図の錯誤には何かしらの史実が反映していると見ることもできる。この場合であれば、満高が最初は「満綱」と名乗っていたという史実である(『迎陽記』)。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
先ほどは大変失礼致しました。
 いつも研究の参考書として利用させて頂いており感謝致しております。
 さて、先日来より、大岩さんといわれる方の先祖調べのお手伝いを致しております。ご本人も一生懸命にされておられますが、当方で、近江愛智郡の「木地師」に関わった「大岩氏」の出自について、「領主の小倉氏に遠慮して、元の小椋姓を大岩姓に変えた。」との記述を見つけ、「小椋氏」を、各サイトで検索して清和源氏流、或いは佐々木満綱の後裔というものを見ました。
 どうも、愛智秦氏の流れが佐々木氏の系図に繋げた感が有るのですが、先生の御知識をお借りしたいのですが、お忙しい中申し訳ありません。
近江佐々木氏の会会員 光延 勉
光延 勉
2011/06/29 19:00
コメント欄には字数制限(800字)がありますので、新しく記事「木地師小椋氏の系譜」を立てました。参考にしてください。
佐々木哲
2011/06/30 23:08

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