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zoom RSS 沢田源内論2

<<   作成日時 : 2005/02/08 02:40   >>

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佐々木氏郷が創作したと考えられていた義実-義秀-義郷の3代の実在も、当時の資料で確認できました。義実は参議(唐名宰相)と伝えられていますが、『鹿苑日録』には江州宰相と呼ばれる人物が記載されていたのです。しかも江州宰相の実名は、義久でした。実名が異なっていたのでは、いくら義実という名で資料を探しても見つかるはずがありません。実在しないのではなく、探し方が間違っていたのです。『鹿苑日録』は、足利義満の菩提寺相国寺鹿苑院住職である鹿苑僧録が書き継いだ日記です。資料的価値はとても高いものです。義秀の名は、宮廷絵所預の土佐光茂の名画『犬追物図』に見えます。義郷は、本名義康で『太閤記』『聚楽亭御成記』などに登場していました。

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
先日古書市で昭和39年当時の歴史関係の出版物を購入したんですが、たまたま沢田源内についての記事が載ってました。ぼろくそ書かれてましたね。批判的に見られているのが根強いことも改めて認識しました。益々哲先生の活躍を期待したいと思います。
佐々木寿
2005/02/08 23:12
沢田源内批判のどれもが、自分の目で実際に資料を確かめずに先人の言葉を鵜呑みにしたものばかりです。それは歴史家としては絶対にしてはならないことです。
佐々木哲
2005/02/09 01:54
始めまして。当方「沢田(戸籍は澤田)」性を受け継ぐ者です。先祖は伊予松山藩の久松家に仕えたと聞いています。松山久松家は江戸初期に桑名藩から転封されたそうで、桑名から揖斐川と支流の牧田川を遡った養老町には「沢田」という集落があります。私の先祖と沢田源内とはなにかつながりがあるのでしょうか?
先祖とつながってますか?
2005/09/06 19:59
沢田源内の弟の家系は、武蔵忍藩主阿倍家に上級武士として仕えています(武蔵忍→陸奥白河→陸奥棚倉)。伊勢桑名藩主久松(松平)家に仕えた沢田氏のことは、残念ながら存じ上げません。詳しくお教え願いますか?
佐々木哲
2005/09/06 20:14
勉強不足で詳しいことは分かりませんが、私の先祖は伊予松山藩主の参勤交代の経路上にある瀬戸内海の島に配属されていたそうです。伊勢桑名藩主久松(松平)家のことは、伊予松山藩の沿革をインターネットで調べて、加藤家の後に松山に転封されたと知りました。先祖は、桑名から殿様について伊予にやって来たのではないかと想像しています。先祖が配属された辺りは村上水軍の本拠地で、水軍の海賊返り監視、参勤交代経路の安全確保が主要な任務ではなかったかと想像しています。牧田川から伊勢湾につながる水運や伊勢水軍にも関係していて、水軍を監視統制する技術や能力もあったのではないかと想像しています。松山からも澤田性を名乗る人は出ているようなので、先祖は元々松山に行きそこから分家して瀬戸内海に配属されたのではないかなどとも想像しています。沢田源内は近江出身ということですが、近江と養老と桑名は中世から江戸初期にかけて一族が分散するにはちょうどよい範囲ではなかったかとこれまた勝手になんの根拠もなく想像しています。
詳しいことは分かりませんが
2005/09/06 21:39
何か資料が見つかるといいですね。たった一つの資料でも、そこから様々なことがつながって見えてくることはあります。ところで家紋は何ですか?
佐々木哲
2005/09/06 22:00
母親からは五三桐と聞いたことがあるのですが、母方のことだったのかという疑念もあります。今になっては聞きなおすこともできないし・・・。五三桐だと豊臣系だと思うので釈然としないところがあります。教科書などでよく見る信長の肖像画には五三桐が描かれているのですね。ネットで次の書き込みを見つけました。・・・「岐阜城内部は、ほとんどが斎藤家・織田家に関する展示。そうか、織田家の梅鉢の家紋は、尾張守護職斯波氏のものだったのか。信長肖像画には、五三の桐の家紋が描かれているのですが、こちらが織田家の本来の家紋。なるほど、さすが岐阜城。長年の疑問が、ようやく氷解しました」
五三桐と聞いたことがあるのですが・・・
2005/09/10 20:07
五三桐紋はとてもポピュラーな家紋であるため、家系は特定できません。桐紋は菊紋とならび天皇家の紋です。天皇家から佐々木・足利などに下賜され、足利から織田に下賜され、織田から豊臣に下賜され、豊臣から大名に下賜され、大名から家臣に下賜され…と続いていきます。
 梅鉢紋は天神信仰で広まり、美濃では守護代斎藤氏を中心に広まりました。前田氏も天神信仰から梅鉢紋を使用したと考えられます。
佐々木哲
2005/09/11 03:05
失礼しました。念のため兄に確認したら、父方の先祖は「丸に三つ柏」の紋で伊予松山藩の久松家に仕えていたそうです。
「丸に三つ柏」だそうです
2005/09/12 18:46
伊勢の沢田氏で、しかも家紋が三つ柏というと、伊勢神宮の荒木田氏の一族ではないかと思われます。
佐々木哲
2005/09/13 02:47
伊勢神宮の荒木田氏から沢田氏が出ていて、しかも神職が用いたという柏の紋ということなので、先生のおっしゃるように考えて、違和感はないと思います。お忙しいところを大変親切にお答えいただき、本当に有り難うございました。先生とやりとりできて本当に嬉しかったです。佐々木先生のこれからの研究がますます発展するように期待します。
有り難うございました
2005/09/13 22:00
わざわざの礼状ありがとうございます。伊勢と近江は深い関係があり、しかも近江佐々木一族の多くが伊勢に移っています。今後も佐々木氏に興味を持ってくださると幸いです。
佐々木哲
2005/09/13 22:48

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