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南北朝期の佐々木加地氏の系譜(5版)
わたしが最近興味をもっているのが、越後佐々木加地氏と隠岐佐々木氏だ。佐々木加地氏に興味をもったのは、鮭延秀綱(愛綱)の子孫大沼氏の系図をみてからである。大沼系図は、ネットで見られる鮭延系図では近江鯰江氏出身とするものとは異なり、佐々木氏の中祖秀義の子真綱から始まり、吉田氏や加地氏、六角氏の人物が登場しながら愛綱に至るというものである。吉田氏が登場するのは、康永四年(1345)の天竜寺供養で調度役を勤めた佐々木四郎左衛門尉秀長を『太平記』が「吉田四郎左衛門尉」としたことが原因であろう。しかし年代...
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2010/03/08 01:55 |
河野親清と首藤親清
河野氏は伊予国越智郡郡司である越智氏の子孫と伝えられるが、通清の父親清は伊予守源頼義の四子三島四郎親清であるという。実は源頼義・義家父子の有力な郎等に首藤資清(佐藤公清の猶子守部氏)があり、その孫が左衛門少尉親清である。資清の子資道(豊後権守)は康和三年(一一〇一)源義家の子対馬守義親が鎮西で反乱を起こしたとき、義家の命を受けて鎮西に下向したが、義親に味方して追討の官吏を殺害して捕縛され、かわって平正盛が追討使となった。資道の子である親清は、『中右記』大治五年(一一三〇)十一月二十二日条に「北...
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2009/11/29 00:40 |
一遍踊念仏と隠岐佐々木氏(5)
佐々木泰清は、本妻大井太郎朝光女(光長姉)を娶り、さらに正妻葛西清親女を娶ったように(11)、東国の豪族級御家人と閨閥を形成した。泰清は隠岐・出雲守護として、『葉黄記』宝治元年(一二四七)五月九日条に六波羅評定衆として見え、建長四年(一二五二)正月十一日臨時宣で検非違使に補任され、翌五年二月四日賀茂・八幡両社行幸行事賞で従五位下に叙爵されて、正嘉元年(一二五七)に従五位上に加級、『経俊卿記』同年五月十一日条でも六波羅評定衆として見える。翌二年に信濃守に補任された(検非違使補任)。以後、隠岐佐々...
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2009/11/08 00:35 |
一遍踊念仏と隠岐佐々木氏(4)
一遍の祖河野通清は平治の乱で一時没落したが、源頼朝の挙兵に呼応して土佐で源希義(頼朝弟)が挙兵すると、通清・通信父子も伊予で挙兵した。『吉記』養和元年(一一八一)八月二十三日条に「伊予国在庁川名大夫通清」が平家に討たれたことが伝聞として記されているが、通信は源義経に従い戦功を挙げて所領を回復している。
伊予守護には、頼朝の伊豆配流時代からの側近佐々木盛綱が補任されたものの、建仁三年(一二〇三)通信は守護佐々木盛綱の奉行によらず、旧のごとく国中の一族郎党を率いるよう御教書を得ている(『吾妻鏡...
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2009/11/07 00:27 |
一遍踊念仏と隠岐佐々木氏(3)
『聖絵』では小田切里の武家屋敷の敷地内に一遍の叔父河野通末の墳墓と思われる盛土が描かれている。「或武士」は、いったん伴野氏が預かった河野通末を引き取った人物であり、河野氏と因縁のある人物と考えられる。そこで資料を探すと、嘉暦四年(一三二九年)鎌倉幕府下知状(守矢文書)に「小田切郷佐々木豊前々司跡」とある(9)。この記事から信濃国佐久郡大井荘内小田切郷の地頭が、佐々木宗清(豊前守)と分かる。宗清は鎌倉幕府草創期に活躍した佐々木兄弟のうち五郎義清の曾孫で、出雲・隠岐守護を世襲した隠岐佐々木氏の嫡流...
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2009/11/06 00:25 |
一遍踊念仏と隠岐佐々木氏(2)
『聖絵』巻四第五段では、信濃国佐久郡伴野市庭の一遍・時衆の歳末別時念仏会の際に紫雲が立ち、時衆と周囲の人びとが上空を見て合掌している。しかし一遍は上空に視線を向けず、一人の僧と対峙している。この場面と連続する同一画面の小田切の里の踊念仏場面に、河野通末(通信の三男)の墳墓があり(7)、紫雲はこの小田切の里の場面へと連なる。紫雲に合掌する人びとは、小田切の里に向かって拝んでいる形になる。たしかに小田切の里で踊念仏の始行があった。一つの画面における二つの場面は、紫雲で連続しており、地理的にも同郡内...
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2009/11/05 01:52 |
一遍踊念仏と隠岐佐々木氏(1)
『一遍聖絵』(以下、『聖絵』)によれば、信濃国小田切の里で踊念仏が始められた。巻四の第五段に伴野市庭と小田切の里の場面が描かれ、つづく巻五の第一段に大井太郎屋形が描かれている。詞書に従えば、信濃入りした一遍は善光寺を訪れたのち下野小野寺を訪れ、再び信濃入りして小田切の里・伴野市庭・大井太郎館に立ち寄ったという。
しかも信濃の佐久郡に入った一遍は、小笠原氏惣領であった伴野荘地頭伴野氏のもとに寄らず、小田切の里を訪れている。一遍の叔父河野通末が配流されたのは伴野荘であり、親族の鎮魂が目的ならば...
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2009/11/04 01:38 |
『一遍聖絵』後援者「一人」と『遊行上人縁起絵』作者平宗俊(6)
『聖絵』と同様に資料価値があるとされている伝記絵巻に、『遊行上人縁起絵』(以下、『縁起絵』)がある。全十巻四十三段で、前半の四巻までが一遍の伝記、後半の五巻から十巻までが真教の伝記となっている。原本は現存せず、鎌倉時代から江戸時代の模写本が二十数本残っているだけである。
それら模写本の詞書から、『縁起絵』作者は平宗俊(真光寺本)あるいは池刑部大輔(金蓮寺本)とされている(13)。この平宗俊を北条一族の淡河氏と推測する学説もあるが(14)、北条系図に宗俊は見えない。真教と縁があり、平氏で諱字...
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2009/10/21 00:14 |
『一遍聖絵』後援者「一人」と『遊行上人縁起絵』作者平宗俊(5)
久我通光(一一八七―一二四八)は臨終にあたり、遺産のすべてを後妻三条(西蓮)に譲渡したため、先妻の子どもとの間に所領問題が生じた。通光の嫡子右大将通忠(一二一六―一二五〇)は継母三条に対して割譲を求めたが、後嵯峨上皇の院宣によって、通忠には山城国久我荘を認められただけであり、そのほかの所領は三条が相続した。さらに三条は肥後国山本荘・近江国田根荘・伊勢国石榑荘の三か所を娘如月に譲り、如月の没後は中院通成の娘源顕子(今出川一位)に譲るよう譲状を記した。この源顕子は、前述のように西園寺実兼の正妻であ...
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2009/10/20 00:45 |
『一遍聖絵』後援者「一人」と『遊行上人縁起絵』作者平宗俊(4)
これまで後援者「一人」を摂関・太政大臣・右大臣に当てはめていたために、特定するに至らなかったのではないだろうか。そこで発想を変えて、「一人」を不定代名詞「ひとり」という意味で「いちにん」と読めば、土御門定実および大炊御門冬輔など、広く一遍に結縁した有力者のなかに後援者をもとめられよう。両者ともに『聖絵』の登場人物の一人である。とくに大炊御門冬輔であれば、絵師円伊に同定されている園城寺の円伊僧正(5)の一門である。また土御門定実であれば、『伏見天皇宸記』正応五年二月二十日条にあるように「才学」の...
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2009/10/19 00:06 |
『一遍聖絵』後援者「一人」と『遊行上人縁起絵』作者平宗俊(3)
そこで、当時はまだ結婚形態が女系から男系に移る過渡期であり、西日本の系図では女系も重視されたことを念頭におくならば、通成の親族を男系に絞る必要はない。
そのような観点から見れば、中院通成は、太政大臣西園寺実兼(一二四九―一三二二)の正妻従一位顕子の父であり、左大臣西園寺公衡(一二六四―一三一五)や永福門院(伏見院中宮)・昭訓門院(亀山院准后)の外祖父である。『聖絵』が成立した正安元年(一二九九)には、女婿の西園寺実兼が前太政大臣(いちのひと)であり、外孫の公衡は右大臣(いちにん)の現職で、...
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2009/10/18 00:06 |
『一遍聖絵』後援者「一人」と『遊行上人縁起絵』作者平宗俊(2)
『聖絵』巻七第二段によれば、弘安七年(一二八四)京都因幡堂に移った一遍の許を、土御門入道前内大臣が訪ねて念仏の縁を結んでいる。公家で結縁した最初の人物である。この人物は、土御門通親の孫である内大臣中院通成(一二二二―八六)と考えられる。土御門一門は、藤原道長の女婿であった村上源氏右大臣師房に始まる公家の名門で、院政期に摂関家の対手として勢力を得た。後鳥羽院政期には、内大臣土御門通親が朝廷の実権を握り「源博陸(源関白)」と呼ばれている。
中院通成は『尊卑分脈』では三条坊門と記されているが、『...
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2009/10/17 00:30 |
『一遍聖絵』後援者「一人」と『遊行上人縁起絵』作者平宗俊(1)
『一遍聖絵』(以下、『聖絵』)制作の後援者は、『聖絵』巻十二第三段の詞書に「一人のすすめによりて、この画図をうつし」とある「一人」である。この「一人」について、「いちじん」と読めば天皇であるが、「いちのひと」と読めば摂政・関白であるため、歓喜光寺所蔵『開山弥阿上人行状』にあるように、これまで関白九条忠教(一二四八―一三三二)と考えられてきた。しかし「一の人(いちのひと)」は、律令制度のもとで太政官を指揮する太政大臣(則闕の官)も意味する。また「いちにん」と読めば第一人者を意味し、奈良朝の藤原不...
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2009/10/16 00:58 |
大庭氏の家紋―柏紋と鷹羽紋
隠岐佐々木氏の初代佐々木義清は、頼朝挙兵時に平家方の大将となった大庭景親の娘婿だが、これまで大庭氏の家紋について決定的なものがなかった。紋章学の沼田頼輔は『日本紋章学』(明治書院、1926年、〔復刻版〕新人物往来社)で、大庭氏の子孫と考えられる幕府旗本大場氏(桓武平氏良文流)の家紋、藤丸・一引両・三つ大文字を挙げている。このうち三つ大文字は「三つ盛り大文字」であり、三星のように「大」の字を三つ盛った紋である。
この「三つ大文字」については、『源平盛衰記』三五の「義経院参」の条に「大文字三ツ...
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2009/05/20 00:50 |
『東大入試で遊ぶ教養』増補改訂版2刷刊行予定
東大入試で遊ぶ教養増補版2刷を刊行予定です。自分では売れているという感覚はないのですが、ここまでたどり着きました。ありがとうございます。そこで、これを機に大がかりに校正を行いました。表現の統一などもありますので、私からは編集に多く修正個所を提出しましたが、表現上の修正は直されないかもしれません。
この作業をやっていて思ったことは、やはり校正は他人まかせにしないで最後は自分で全部見ないといけないということです。編集段階で年代を細かくつけると決めたのです。締め切りが早く時間がないということで、編...
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2009/05/19 13:03 |
歴史読本「戦国大名血族系譜総覧」2009年4月号・「六角氏」原稿
概略
六角氏は宇多源氏佐々木氏の嫡流で、鎌倉期から戦国期まで一貫して近江守護であった。このように鎌倉期から守護を維持しえたのは、畿内近国では六角氏のみである。しかも経済の先進地域である近江は一国で地方の数か国に相当した。室町期には将軍足利義満の弟満高を養子に迎え、また将軍足利義教の比叡山焼討ちで満綱が山門領押使をつとめて、嘉吉の土一揆では黒幕であった。文安の乱では満綱・持綱父子が自殺して衰退するが、応仁・文明の乱で高頼が活躍して再び盛り返した。足利義尚・義稙二代の将軍親征を受けたが(長享・延徳...
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2009/05/06 14:18 |
2009年東大前期・国語第1問「白い紙と完成度」【予告編】
白は、完成度というものに対する人間の意識に影響を与え続けた。紙と印刷の文化に関係する美意識は、文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆的な定着をおのずと成立させてしまうので、未熟なもの、aギンミの足らないものはその上に発露されてはならないという、暗黙の了解をいざなう。
推敲という言葉がある。推敲とは中国の唐代の詩人、賈島の、詩作における逡巡の逸話である。詩人は求...
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2009/05/04 12:04 |
2009年東大前期・国語第4問「昔語りと死生観」【予告編】
いなかに百一歳の叔母がいる。いなかは奥会津である。若い日には山羊を飼って乳などを搾っていたので山羊小母と呼ばれている。山羊小母の家に行ったことは二、三度しかないが説明するとなると結構たいへんである。
一見、藁葺屋根の普通の農家だが、入口を入ると土間があって、その土間を只見川の支流から引き入れた水が溝川をなして流れている。台所の流しから流れる米の磨ぎ汁をはじめ、米粒、野菜の切り屑などはこの溝川を流れて庭の池に注ぎ込む。池には鯉がいて、これを餌にしている。
土間から上がった板敷には囲炉裏が切...
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2009/05/04 11:49 |
2008年東大前期・国語第1問「歴史拘束性と自由」【予告編】
いまここであらためて、歴史とは何か、という問いを立てることにする。大きすぎる問いなので、問いを限定しなくてはならない。中島敦が「文字禍」で登場人物に問わせたように、歴史とはあったことをいうのか、それとも書かれたことをいうのか、ともう一度問うてみよう。この問いに博士は、「書かれなかった事は、無かった事じゃ」と断定的に答える。すると博士の頭上に、歴史を刻んだ粘土板の山が崩れおちてきて命を奪ってしまうのだった。あたかも、そう断定した博士の誤りをただすかのように。こういう物語を書いた中島敦自身の答は、...
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2009/02/19 22:55 |
2008年東大前期・国語第4問「演技するということ」【予告編】
二流の役者のセリフに取り組むと、ほとんど必ず、まずそのセリフを吐かせている感情の状態を推測し、その感情を自分の中にかき立て、それに浸ろうと努力する。たとえば、チェーホフの『三人姉妹』の末娘イリーナの第一幕の長いセリフの中に「なんだってあたし、今日こんなに嬉しいんでしょう?」(神西清訳)という言葉がある。女優たちは、「どうもうまく『嬉しい』って気持ちになれないんです」といった言い方をする。もっといいかげんな演技者なら、なんでも「嬉しい」って時は、こんなふうな明るさの口調で、こんなふうにはずんで言...
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2009/02/19 22:42 |
2007年東大前期・国語第1問「芸術ジャンル――分類の可能性」【予告編】
創作がきわだって個性的な作者、天才のいとなみであること、したがってそのいとなみの結実である作品も、かけがえのない存在、唯一・無二の存在であること、このことは近代において確立し、現代にまでうけつがれているaツウネンといっていい。一方、このいとなみと作品のすべてが、芸術という独自の、自立的な文化領域に包摂されていることも、同じように近代から現代にかけての常識だろう。かけがえのない個性的ないとなみと作品、それらすべてをつつみこむ自立的な――固有の法則によって完全にbトウギョされた――領域。しかしよく考...
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2009/01/22 22:03 |
2007年東大前期・国語第4問「結婚という形」【予告編】
詩におけるさりげないひとつの言葉、あるいは絵画におけるさりげない一つのタッチ、そうしたものに作者の千万無量思いが密かにこめられたとしても、そのように埋蔵されたものの重みは、容易なことでは鑑賞者の心に伝わるものではあるまい。作品と鑑賞者がなんらかの偶然によってよほどうまく邂逅しないかぎり、アその秘密の直観的な理解はふつうは望めない。
しかし、そうした表現と伝達の事情において、やはり比較的深くといった段階にとどまるものではあるが、例外的と言っていい場合もいくらかはないわけではないだろう。そこで...
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2008/10/07 10:46 |
2008年東大世界史第3問「交通の歴史」
【問題】
世界史ではヒトやモノの移動、文化の伝播、文明の融合などの点で、道路や鉄道を軸にした交通のあり方が大きな役割を果たしてきた。これに関連して、以下の設問(1)〜(10)に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(10)の番号を付して記しなさい。
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2008/07/11 12:59 |
『東大入試で遊ぶ教養 日本史』改訂版
現在、『東大入試で遊ぶ教養 日本史編』改訂版を執筆中です。2007年・2008年の解答例と解説も付録としてつけます。改訂内容としては、単純ミスのほか、誤解を招きやすい表現も書きなします。改訂内容は以下のとおりです。
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2008/05/29 00:49 |
『東大入試で遊ぶ教養 世界史編』改訂版
現在、『東大入試で遊ぶ教養 世界史編』改訂版を執筆中です。2007年・2008年の解答例と解説も付録としてつけます。改訂内容としては、単純ミスのほか、誤解を招きやすい表現も書きなします。改訂内容は以下のとおりです。
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2008/05/21 14:55 |
『葉隠』鍋島氏と佐々木氏
『葉隠聞略』六に「鍋島家の御紋のこと」という記事がある。鍋島家の紋は、元来、目結紋であるという。
慶長8年(1603)に、隠居後の鍋島直茂が、徳川家康のお召しにより、江戸に上ったときに、御召船の幕に四つ目結紋をつけた。そのため、直茂の隠居分を継承した小城藩の御召船や武具には四つ目結紋が付けられた。
その後、江戸に滞在していた鍋島勝茂が松平若狭守の酒宴に招かれたとき、若狭守から「鍋島殿の御先祖は佐々木氏であると内々承っている。それならば、御紋は四つ目結のはずである。しかし今は杏葉の紋を使わ...
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2007/12/25 19:05 |
『系譜伝承論』出来ました!!
お待たせいたしました。
昨日11月27日に印刷・製本所から思文閣出版に届き、今日11月28日にわたしの自宅に届きました。先行予約していただいた皆様には、来週初めから順次発想いたします。これから注文される方にも送料無料でお送りいたしますので、メールにて連絡いただければ幸いです。
また、『佐々木六角氏の系譜』の出版社在庫がなくなりましたが、著者の手元には僅かですが残部がありますので、こちらもメールにてお申し込みくだされば、お送りいたします。
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2007/11/28 13:07 |
『系譜伝承論―佐々木六角氏系図の研究』近日刊行 !!
佐々木哲『系譜伝承論―佐々木六角氏系図の研究』 (思文閣出版)は、奥付では11月20日付発行ですが、印刷所から出版社に届くのが11月27日の予定です。見直し作業に手間取ったことと、印刷・製本所の混雑のために公刊が遅れました。予約していただいた方には御迷惑をかけましたが、いよいよ発行されます。著者に直接申し込んでいただいた方には、送料無料でお送りいたします。希望の方はメールで連絡願います。追って、申し込み方法を連絡申し上げます。
【内容】
歴史学の進展は常識を疑うことからはじまる。これまで、...
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2007/11/21 10:48 |
11月京都勉強会
11月京都勉強会は、下記のとおり実施いたします。
【日時】
2007年11月11日(日)
12時半〜14時半:絵画資料論『洛中洛外図』など
14時半〜16時半:『京極氏家臣某覚書抜萃』など
【会費】
一般:3,000円
※学生は割引
【会場】
キャンパスプラザ京都 5階 演習室
http://www.consortium.or.jp/campusplaza/guidance.html
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2007/10/24 23:53 |
『系譜伝承論―佐々木六角氏系図の研究』予約受付
佐々木哲『系譜伝承論―佐々木六角氏系図の研究』 (思文閣出版)が、いよいよ10月刊行されます。わたくし著者に先行予約していただいた方には、送料無料で、刊行しだいお送りいたします。希望の方はメールで連絡願います。追って、申し込み方法を連絡申し上げます。
【内容】
歴史学の進展は常識を疑うことからはじまる。これまで、作為や錯誤が多いことから歴史資料として正当な評価を受けてこなかった系図について、作為や錯誤を隠喩ととらえるという斬新な手法で、資料としての可能性を示す。さらに、系図に作為や錯誤...
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2007/10/09 00:59 |
勉強会再開のお知らせ
現在、『系譜伝承論─佐々木六角氏系図の研究』(思文閣出版、2007年10月刊行予定)の再校を進めると同時に、『絵画資料論─一遍聖絵の図像学』の執筆を進めている最中ですが、勉強会を再開したいと思います。『絵画資料論』が筆了間近ですので、一般書『反信長』執筆の準備をするにあたり、みなさんとお話しするなかで、多くのヒントを得られると思ってのことです。また東大現代文の解釈も、直接お話した方が、みなさんにより多くのものが伝わるのではないかと考えています。
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2007/09/02 00:17 |
7月京都勉強会
7月京都勉強会は、下記のとおり実施いたします。
【日時】
2007年7月1日(日)
東大現代文を読む : 13時〜14時半
>>2007年東大前期第4問「解釈学と結婚のカタチ」
系図の読み方講座 : 15時〜16時半
>>『尊卑分脈』と佐々木系図:鎌倉期の仮称・官位
【会費】
3、000円
【会場】
京都市生涯学習総合センター山科
アスニー山科の研修室2
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/a...
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2007/06/08 00:17 |
6月東京勉強会(改訂2)
6月東京勉強会は、下記の日程で実施いたします。
現在、少人数での勉強会ですので、参加者の皆さんの興味に合わせた勉強会にしております。出席希望者にはあらかじめ目印をお知らせしたいので、記事コメントあるいはメールでご連絡願います。
【日時】
6月3日(日)・24日(日)
◆東大入試で教養講座(13:00〜14:50)
@現代文講座「2007年東大現代文を読む」
A世界史講座「古代オリエント文明」「ローマ季節風貿易と仏教隆盛」
※希望者がいらっしゃれば、日本史講座も始めます。
◆歴史勉...
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2007/05/20 23:40 |
5月東京勉強会
5月東京勉強会は、下記の日程で実施いたします。
現在、少人数での勉強会ですので、参加者の皆さんの興味に合わせた勉強会にしております。出席希望者はあらかじめ記事コメントあるいはメールでご連絡願います。
【日時】
◆5月20日(土)13:00東京ウィメンズプラザ(青山)
@東大入試で教養講座
A歴史講座『系図の読み方1』
『江源武鑑について』
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2007/05/12 09:29 |
観音寺城見学会
5月勉強会前日5月5日に観音寺城見学を実施します。
近江観音寺城は近江守護佐々木六角氏の本城で、戦国期最大級の山城で、鉄砲に備えて本格的な石垣も用いています。それまでの城は土塁でしたから、石垣を用いたことは画期的でした。また家臣団が集住し、おびただしい数の郭(曲輪)それぞれが家臣の屋敷になっていました。城下町石寺は、日本で最初の楽市が実施されたことで著名です。織豊期の遺構もあり、織田信長近江進出後も健在であったことが分かります。このことが六角氏当主をめぐる系図問題に一石を投じ、六角義実・義秀・...
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2007/04/23 13:09 |
5月京都勉強会
5月京都勉強会は、下記のとおり実施いたします。
【日時】
2007年5月6日(日)
教養日本史・世界史 : 12時半〜14時半
系図の読み方 : 14時半〜16時半
>>佐々木分流の系図をもとにして
※詳細は後日お知らせいたします。
ご意見ご要望が有りましたら、お知らせください。
※前日に、近江観音寺城見学も考えています。
【会費】
3、000円
【会場】
キャンパスプラザ京都 5階 演習室
http://www.consortiu...
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2007/03/30 11:11 |
個人指導始めます【2009年改訂】
ブログで東大現代文・日本史・世界史の模範解答を連載し、教養書&参考書である『東大入試で遊ぶ教養』シリーズ(長崎出版)を公刊してきました。そして、わたしの専門科目である現代文・日本史・世界史・小論文(医薬看護系を含む)について、個人指導をします。
そこで、予備校講師など専門家レベルが家庭教師や添削指導した場合、どのぐらいの料金なのか調べてみました。
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2007/02/27 17:55 |
大学基準と予備校基準・東大現代文編
東大現代文を受験テクニックで解くことができないことは、予備校・青本・赤本の模範解答に誤りが多いことでも分かる。それを正しいと信じている受験生があまりにかわいそうだ。
東大現代文で高得点を挙げたいのであれば、受験テクニックを磨くより、むしろ教養を身に付けた方が早い。教養はすぐに身につかないと思われがちだが、そうでもない。実は大学入試問題で使用されている評論文の多くは、大学教科書や副教材である。大学入学後に、大学教科書や副教材を正確に読むことのできる学生がほしいからだ。だから、大学入試問題で使用...
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2007/02/14 01:28 |
大学基準と予備校基準・東大世界史編
歴史学は、実は暗記の学問ではなく思考の学問だ。だから、教科書程度の知識があれば、あとは思考力と論理力で解けるという問題が、いい問題だ。ここが、大学基準と予備校基準の大きな違いになってくる。
とくに世界史の第1問の論述問題は、同じ出来事でも、見方を変えるだけで歴史像が大きく変わることを意図している問題だ。そのために、世界史では馴染みのキーワードが用意されている。いずれも馴染みのキーワードだが、そのなかのいくつかを入れ替えるだけでも、出来上がった歴史像はまったく異なる。受験生は気にしていないだろ...
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2007/02/12 01:07 |
大学基準と予備校基準・東大日本史編
東大日本史で必要なのは、発想力だ。知識については、教科書レベルの基礎力で十分だ。この発想力が重要だということが、大学基準と予備校基準の違いだ。
まず知っておいてほしいのは、歴史という学問が目指しているものは、これまで正しいと思われていた歴史常識を疑うということだ。今でも歴史という学問があるのは、歴史が暗記の学問ではなく、つねに歴史学のなかで歴史学の常識が疑われてきたということを示している。
たしかに高校までの勉強では、教科書は正しいものだった。しかし大学では、教科書で学びながら教科書を批...
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2007/02/10 19:17 |
大学基準と予備校基準
ことし東大受験生を指導していて、いちばん驚いたのは、予備校の東大模試の模範解答がとてもではないが模範解答といえるものではなかったことだ。むしろ誤っている。自分たちでつくっている問題だから、とても素晴らしい模範解答ができていいはずなのに、そうではない。これは、どうしてなんだろう。
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2007/02/04 13:12 |
ごあいさつ&出版予定
あけましておめでとうございます!
本年も宜しくお願いいたします。
それとともに、わたしが執筆中であるがために、ブログの更新が遅々として進んでおりませんことを、お詫び申し上げます。お詫びも兼ねまして、現在執筆中の著書のリストを掲げます。どうか、今後も御贔屓に願います。
【歴史】
「偽系図と史実」(執筆中)
「反信長」(執筆中)
【絵画資料論】
「一遍聖絵と図像学」(執筆中)
「朝鮮軍陣図屏風と図像学」(執筆中)
【哲学】
「弱者の進化論」(執筆中)
「裸の王様の哲学」(執筆中...
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2007/01/01 22:47 |
ピーちゃん大往生と来世観(改訂版)
ピーちゃんの大往生は、2006年東大前期試験の国語第一問「来世観」を記事にした直後であり、死について考えるのに、ちょうどいい機会になった。
セキセイインコというと短命なイメージがあるかもしれない。実際にペットで飼われているセキセイインコの平均寿命は8年ぐらい。だけど大切に飼えば、13歳まで生きるし、もっと生きることもある。
ときには、病気のヒナを買わされてしまい、ヒナのうちに死んでしまうこともある。わたしも病気のヒナを買ったことがある。しかし、ヒナには罪はない。むしろ、わたしたちを頼る...
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2006/12/23 21:05 |
ピーちゃんが死んだ
13歳のセキセイインコが死んだ。
九九の2の段を話すインコだった。
私が咳をすると喜ぶインコだった。
水の音が好きなインコだった。
ひとを斜めからの視線で見るインコだった。
ひとの頭に載るのが好きなインコだった。
ワープロの上を歩くのが好きなインコだった。
スズメと一緒に庭に飛んできた黄色のインコだった。
来たときは、ようやくと飛べるようになった子供だった。
来たときは、粟稗しか食べない正統派だった。
「ピーちゃん」に反応したから、
「ピーちゃん」と名づけた。
人懐っこさ...
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2006/12/23 07:17 |
2006年東大前期・国語第1問「来世観」
なにゆえに死者の完全消滅を説く宗教伝統は人類の宗教史の中で例外的で、ほとんどの宗教が何らかの来世観を有しているのであろうか。なにゆえに死者の存続がほとんどの社会で説かれているのか。答えは単純である。(ア)死者は決して消滅などしないからである。親・子・孫は相互に似ており、そこには消滅せずに受け継がれていく何かがあるのを実感させる。失せることのない名、記億、伝承の中にも、死者は生きている。もっと視野を広げれば、現在の社会は、すべて過去の遺産であり、過去が(a)チンデンしており、過去によって規定され...
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2006/11/12 15:46 |
2006年東大前期・国語第4問「教育問題」
産業革命以前の大部分の子どもは、学校においてではなく、それぞれの仕事が行なわれている現場において、親か親代りの大人の仕事の後継者として、その仕事を見習いながら、一人前の大人となった。そこには、同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立つ基盤がある。(ア)それが大人の権威を支える現実的根拠であった。そういった関係をあてにできないところに、近代学校の教師の役割の難しさがあるのではないか。つまり学習の強力な動機づけになるはずの職業共有の意識を子どもに期待できず、また人間にとっていちばんなじみやすい見...
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2006/11/07 12:51 |
『東大入試で遊ぶ教養 世界史編』はじめに
歴史学は、実は暗記の学問ではなく思考の学問だ。だから、教科書程度の知識があれば、あとは思考力と論理力で解けるという問題が、いい問題だ。それが、まさに東大入試だ。
しかし同じ歴史科目でも、日本史と世界史では勉強の仕方がちがう。日本史では歴史を深めることが求められるが、世界史では出来事をタテ・ヨコにつなげていくことが求められる。視点を変えるだけでも、大きく歴史観が変わるからだ。
東大世界史の論述問題では、いくつかのキーワードが用意されている。キーワードは教科書で学ぶ範囲のもので、お馴染みの...
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2006/10/22 02:16 |
『佐々木六角氏の系譜―系譜学の試み』 2版刊行!!
お待ちどうさまでした m( _ " _ )m
ついに佐々木哲著『佐々木六角氏の系譜−系譜学の試み』が重版されました。最寄りの書店、発行者の思文閣出版にてご注文できます。また、ご近所あるいは大学の図書館に希望図書として依頼していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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2006/10/18 12:20 |
10月の蝉
昨日10月14日(土)、トトロの森(狭山丘陵)をジョギングしていたら、「おーしんつくつく、おーしんつくつく」とつくつく法師の声が聞こえてきた。
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2006/10/15 17:26 |
東大日本史・受験生の勘違い
大学で、面白いことが話のネタになったことがある。
それは数年前の早稲田大学でのことだが、日本経済史の授業で、江戸時代の農民の生活について説明したところ、学生から「先生は歴史がわかっていない」と言われたというのだ。どうも学生は小学校から受験時代まで、江戸時代の農民の生活は困窮を極めたと教わってきたらしい。しかし、近年の江戸時代の歴史像は大きく変わっている。江戸時代の経済が成熟していたことがわかってきているのだ。お触れで、お茶を飲んではいけません、贅沢をしてはいけません、旅行(物見遊山)をして...
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2006/10/11 22:58 |